福井県あわら市(旧坂井郡金津町) の旧北陸道沿いにあって、毎年30年以上続く「蓮如上人御影道中」の休憩所の1つでもあるー浄土真宗大谷派・照厳寺(しょうごんじ)。
嘉暦元年(1326)本願寺三世覚如の直弟行覚が越中国氷見(富山県氷見市)に開山し、応安7年(1374)二代目覚順が越前国藤島郷久末(幾久=福井市幾久町、大宮1丁目)に居住地を移したーと伝えられる。
久末の照厳寺は、福井県立博物館(大宮2丁目)南側にある幾久公園グラウンド東側の白山神社北側辺りにあったという。
その後、朝倉氏の一向宗寺院越前追放、織田信長の一向一揆平定で、2度加賀国移住を余儀なくされるなど、各地を転々として現在地に至るーと伝えられる。
永正3年(1506)九頭竜川の戦い(総勢30万ともいう一揆軍と朝倉軍が九頭竜川を挟み激戦を交わし、一揆軍が大敗した)後、朝倉氏の一向宗寺院越前追放で「加賀国」(石川県加賀市)へ。
永禄11年(1568)朝倉氏と一向一揆の和議で再び「久末」(幾久)へ。
天正3年(1575)織田信長の一向一揆平定で「加賀国二梨」(ふたつなし=石川県小松市)へ。
天正19年(1591)までに再々度「久末」(幾久)へーなど。
明和2年(1765)現在地に移る。久末住職は26代目。 |