■[西側の山裾を散策]
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ー概略ー
「下城戸」地区から、西側山裾にある「朝倉遺跡遊歩道」を南へ歩いて行くと、道路沿いにカワラケ(素焼きの器)職人町屋跡と道路跡が確認できます。
「瓢町」(ふくべまち)地区。
そこを過ぎて間もなく、
寺院跡・町屋跡のある「赤淵・奥間野」地区に。
さらに、山沿いに沿って南へ歩いて行くと、多くの人々が住んでいたーという
「八地谷・運正寺」(やちだに・うんしょうじ)地区に。
さらに南へ向かうと、復元武家屋敷近くの
「月見櫓跡付近」に。 |
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「下城戸」 2021.5.15
豪壮な構えに戦国の気風=10t中には40t超す巨石
ー運搬・石積技術に驚嘆ー
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敵の攻撃や侵入を防ぐー重要な防御施設「下城戸」の出入り口です。重さ10tを超す巨石。中には40tを超すものもあるといい、豪壮な構えに圧倒されます。当時の高度な運搬技術や石積み技術に驚嘆するばかり。 一方では戦国の気風が伝わってくるようです。
左側土塁(幅約15m高さ約4.5m)外側のお濠(幅約10m深さ約3m)は、南北に流れる一乗谷川と交わっていたようです。
また下城戸の造りは、外側から町が見通せないー矩折(かねおれ)状に。真っ直ぐ南へ進み、突き当たりを左(東側)に曲がると広場があります。 そこを右(南側)に曲がって町に入っていたようです。 ページトップ |
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「瓢(ふくべ)町」
カワラケ(素焼きの器)職人の「町屋跡」
「道路跡」は「南北道路跡」と「東西道路跡」が直交。
道路跡に沿ってカワラケ職人の「町屋跡」が確認できます。 |
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瓢(ふくべ)町付近の「道路跡」
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カワラケ(素焼きの器)
「職人の住まい跡」
右「南北道路跡」は
上(東西道路跡)と直交。 |
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「道路跡」に沿って
「町屋跡」(赤淵・奥間野地区)
手前と左側 「道路跡」 |
越前焼大甕(がめ)のある「紺屋跡」
手前「紺屋跡」に沿って「東西道路跡」
右側「南北幹線道路跡」 |
「赤淵・奥間野」
「計画的な町割」の城下町=「町屋跡」や「サイゴージ寺跡」、「医者の屋敷跡」など確認、便器の一部・木製「金隠し」も |
寺院跡・町屋(町人が住む店舗併設屋敷)跡のある「赤淵(あかぶち)・奥間野(おくまの)」地区です。特に「赤淵・奥間野」地区は、「平井・河合殿」地区とともに町屋が集中しているといわれています。
この地区では「町屋跡」のほか、「サイゴージ寺跡」、「医者の屋敷跡」などが確認できます。
またこの地区の「町屋跡」から便器の一部・木製「金隠し」がみつかり、考古学的に日本初の「トイレ遺構」と確認されました。
道路は「計画的な町割」に基づいているといい、町屋跡は、一軒の間口が約6m奥行約12mと小規模ですが、道路に面して軒を接して立ち並んでいたという。
町屋の人たちは、道行く人々に商いの声を掛け合っていたのでしょうか。歩いていると、そんな活気に満ちた町の光景が甦ってきそう。
ちなみに、出土遺物などから、越前焼大甕(おおがめ)を備え付けた紺屋(こうや)のほか、油屋や酒屋、檜物師(ひものし)、鍛冶屋、塗師、大工、数珠屋(じゅずや)など、商店や職人の家が軒を接して並んでいたと考えられているようです。 2021.5.15
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「本堂跡」が土塁で囲まれた
「サイゴ―寺跡」
手前「東西道路跡」は
「南北幹線道路」に直交。 |
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戦国城下町の日常 寸劇で再現 |
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上級武士で採用されている「薬医門跡」。この門から家の格は高いという。
門の前は「南北幹線道路」と直交する
「東西道路跡」 |
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南側「表向き座敷」からみる
「平庭跡」。観賞が主眼という。
手前は巨石を利用した
「蹲踞(つくばい)様石組」。
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この辺の「町屋跡」から便器の一部・木製「金隠し」がみつかったことから
日本初の「トイレ遺構」と確認 |
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「八地谷雲正寺地区」
多くの寺院、谷の奥まで多くの人が住む |
寺院跡・町屋跡の南側は「八地谷・雲正寺(やちだに・うんしょうじ)」地区。雲正寺はじめ多くの寺院が建っていたという。
八地谷は通称「八地千軒」といい、東西道路跡は八地谷川に沿って谷の奥まで続き、屋敷が建て込み多くの人が住んでいたようです。
当時では珍しい石積の護岸-多くの掘立柱建物跡
一乗谷城下町を縦断する南北幹線道路跡は、八地谷川に沿って奥へ続く東西道路跡に直交。八地谷川は当時では珍しい石積の護岸が施され、その南側には多くの掘立柱(ほったてばしら)建物跡がみえます。 |
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「南北幹線道路跡」に直行する
「東西道路跡」は、 八地谷川に沿って 奥へ続く。
石積が施されている
「八地谷川の護岸」 |
多くの寺院が建っていた
「雲正寺地区」。
手前「南北幹線道路跡」に直交する
「東西道路跡」
奥に「掘立柱(ほったてばしら)建物跡」がみえる。 |
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「月見櫓跡付近」
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さらに南へ「月見櫓跡」付近を過ぎると、まもなく「復元武家屋敷」の矩折(かねおれ)状「道路跡」が外から確認できます。ここからは有料です。
2021.5.15 |
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「雲正寺地区」から続く
「南北幹線道路」
「月見櫓跡」付近。
突き当り「復元武家屋敷」
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「復元武家屋敷」。
外からみえないように
「矩折(かねおれ)状」の
「南北幹線道路跡」 |