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福井散策

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寄り道(福井散策)


2021.11 年貢の絹綿、全国屈指=藤島荘と坂北荘

戦国期には「北庄大橋」と呼ばれた現在の「九十九橋」。
当時は左側・北詰より北庄中心部へ。または加賀(石川県)へ北陸道続く。
右側・南詰よりまもなく足羽山麓を南(左)へ北陸街道が続く。


北庄大橋(九十九橋)架橋、戦国期まで遡る
ー足羽川と北陸道交わる交通の要衝ー

延徳3年(1491)、越後(新潟県)に向かう「冷泉為広(れいぜいためひろ)卿(高位の官職)の日記」には、「石バ百八間ノ橋アリ」とあるらしいー。

 この日記によると、戦国大名・朝倉氏が越前を治めていた頃には、足羽川と北陸道が交わる交通の要衝に、長さ「108間」という越前唯一の北庄大橋(現在の九十九橋)が架けられていたーという。

北庄大橋、戦乱多く経済的にも困難期の架橋
ー最も利益を得た「軽物座10人衆」に注目ー

 ただ、その頃は戦乱の絶えない戦国期だけに、大きな河川の架橋は、防衛上だけでなく経費的にも困難が伴う、大変な土木工事だったに違いない。 それだけに、大橋架橋が「朝倉氏の交通政策だけでは説明できない」という。

「足羽3カ庄」の町場形成、北庄大橋が紐帯
ー朝倉氏直接支配し商業・経済機構掌握ー

そこで注目されるのが、「足羽3カ庄」を中心に活動し最も利益を得ていた絹布取引特権的集団「軽物座10人衆」。
「足羽3カ庄」は、北庄大橋が紐帯(ちゅうたいー結びつけ機能させるもの)となり、3集落=北庄(足羽北庄)・石場(社荘)・木田(木田荘)が、人家・商家の家並みが連続する1町場(市街地)を形成。

 その後も3カ庄は府中(越前南部の経済商業都市)とともに、越前北部の重要な経済都市として発展したといい、特に朝倉氏は、「足羽3カ庄」を直接支配下に置いて領国内の商業・経済の仕組みを掌握したーという。

10人衆の財力、大橋の建設・維持費に関与か

このような背景から、絹布取引特権的集団「軽物座10人衆」の財力が、北庄大橋の建設・維持費に関与していたーとみられる。
2021.11 勝虎城、黒丸城の北東重要拠点
初代朝倉土佐守の菩提寺、曹洞宗・永春寺
ー舟橋を世襲で管理した四王天家もー
  遠江守・頼景は、南北朝期に北朝方・斯波高経に従い越前入りした広景を祖とするー越前朝倉の4代目、為景(貞景)の子で、北庄(きたのしょう=福井の旧称)に居館した初代・朝倉土佐守。北庄氏とも称す。

 永春寺は江戸期に福井城拡張の際、本丸付近から寺町(石場寺町ともいう。現つくも二丁目)に移転。

 また四王天(しほうでん)家の菩提寺でもある。同家は南北朝の「勝虎城」(しょうとらじょう)を奉行所に、北陸街道の九頭竜川舟橋(福井市)を世襲で管理。

 元祖・又兵衛政実は、明智光秀に仕え本能寺の変で信長の小姓・森蘭丸を討ち取ったとされる。

北陸最大級の円墳、兜山古墳ー”古墳公園“に


”古墳公園”、国史跡「王山古墳群」
写真上右奥=弥生中期末(1世紀)に築造され、
墓地形成のきっかけとされる「王山40号首長墳」。

「王山古墳群」、方形周溝墓と円墳約50基
ー弥生〜古墳期の連続した墓制変遷に注目

 「王山古墳群」は、墓制(ぼせい〈墓のつくり〉)が弥生から古墳期へと連続し、墓制の変遷を知る上で貴重な遺跡として注目されている。
 鯖江台地南端の独立丘陵「王山」(標高66メートル)に立地し、弥生中期末(1世紀)から古墳中期(5世紀)にかけての墳墓ー「墳丘墓」(方形周溝墓)と「古墳」(円墳)計約50基が連綿と造られており、王山周辺のムラの有力者・指導者および地域を統括した盟主の墓とされる。

王山40号首長墳、弥生中期(1世紀)築造ー墓地形成のきっかけ
 なかでも、丘陵最高所に位置する「王山40号墳」は、王山最大・最古(東西23.5メートル南北21メートル高さ推定3メートル、弥生中期末〈1世紀頃〉)の方形周溝墓。王山墓地形成のきっかけとなった盟主(首長=村長〈ムラオサ〉)の墳墓とみられる。
2023.4
「源氏物語」作者・紫式部の十二単衣立像
四季の彩りに映えて美しいー紫式部公園


紫式部、京からこの地を通って越前国府へ

近江最古の大社 白髭神社(滋賀県高島市)にある
「紫式部の歌碑」
みおの海に 綱引く民の てまもなく
         立ちゐにつけて 都恋しも

 源氏物語の作者・紫式部が平安期長徳2年(996)、越前国守として赴任する父・藤原為時とともに、この地を通った時に詠んだとされる。
 式部は京を出て逢坂をへて、湖西を通る北陸道(西近江路)を北上し、塩津へ向かったとみられる。
2022.6
鎌倉初期大規模開発=「藤島荘」故地


江戸期には「福万村」の鎮守として
鎮座していたという。
本殿御垣内の一対の燈篭に手がかり。


福万白山神社(薬師神社)=福万村鎮守

 古くから「福万村」の鎮守として鎮座していたーという「福万白山神社(薬師神社)」(福井市大宮3丁目=芦原街道・大宮交差点付近南東側) 。
 同神社参拝しおりによると、創立年月は不詳としていますが、本殿御垣内(みかきうち=拝殿の奥、神様の聖域)に残る一対の燈篭には、「天保6年嶋嵜彌八郎嗣、米岡加兵衛、菅沼與市郎寛次」と刻まれていることから、江戸期には「福万村」の鎮守として現在地に鎮座していたーと考えられています。
 「福万白山神社(薬師神社)」の現所在地は、江戸期「重藤村」地域になりますが、大宮3丁目の50世帯が「福万連合自治会」(福万自治会)の名称で、春山地区で自治会活動をしています。
2022
燈明寺畷新田義貞戦歿伝説地「新田塚」


南北朝期「福満名(みょう)」が偲ばれる
「福万公園」(福井市二の宮5丁目)

南北朝期「福満名」起源=「福万村」
ー北端に新田義貞戦没伝承地燈明寺畷ー

 南北朝争乱期「藤島の戦い」で、南朝方・新田義貞が戦死した所と伝えられる通称・燈明寺畷(福井市新田塚町)。
 江戸期「越前国藤島郷福万村」(福井市二の宮5丁目、大宮4丁目、新田塚町)の北端に位置し、その村名の起源は、名田(みょうでん=開墾・買得などによる取得田地に取得者名を冠した田)「福満名」(ふくまんみょう)とされる。

 南北朝期・観応3年(1352)の「妙香院宮御参院引付」には、「藤島庄内福満名被行之」とあるという。福井市福万町の町名は今はなく惜しまれますが、「福万公園」に往時の「福満名」が偲ばれます。
2022.6

一乗谷・朝倉遺跡

白山平泉寺


南北朝期の久末(幾久)「照厳寺」は、
福井県立博物館南側の幾久公園グラウンド東側にある
白山神社北側辺りにあったという。


福井県あわら市の旧北陸道沿いにある
現在の「照厳寺」


南北朝期、越中から藤島郷久末ー照厳寺
ー朝倉氏一向宗寺院追放など2度加賀へー

 福井県あわら市(旧坂井郡金津町) の旧北陸道沿いにあって、毎年30年以上続く「蓮如上人御影道中」の休憩所の1つでもあるー浄土真宗大谷派・照厳寺(しょうごんじ)。

 嘉暦元年(1326)本願寺三世覚如の直弟行覚が越中国氷見(富山県氷見市)に開山し、応安7年(1374)二代目覚順が越前国藤島郷久末(幾久=福井市幾久町、大宮1丁目)に居住地を移したーと伝えられる。

 久末の照厳寺は、福井県立博物館(大宮2丁目)南側にある幾久公園グラウンド東側の白山神社北側辺りにあったという。
その後、朝倉氏の一向宗寺院越前追放、織田信長の一向一揆平定で、2度加賀国移住を余儀なくされるなど、各地を転々として現在地に至るーと伝えられる。

2021.12

「越の国」大首長の石棺に「笏谷石」



主祭神・継体天皇。式内社「足羽神社」。
朝廷に祀られていた大宮地之霊(おお
みやどころのみたま)を足羽山に勧請
したのが起源とされる。


式内社「足羽神社」ー主祭神・継体天王

 足羽神社(福井市足羽1丁目=足羽山の東北部山上)は、平安中期「延喜式」神名帳に記載されている式内社。主祭神は継体天皇。

 継体天皇が男大迹王(おほどのおおきみ=日本書紀)として越前で活動していた頃、朝廷に祀られていた大宮地之霊(おおみやどころのみたま)を足羽山に勧請したのが起源とされ、男大迹王が58歳で第26代天皇に即位した時、越前国を離れるに当たり、継体天皇の皇女、馬来田皇女(うまくだのひめみこ)に斎主(神主)として後を託したーと伝えられる。

 大宮地之霊は、坐摩神(いかすりのかみ)ともいい、生井神(いくいのかみ)、福井神(さくいのかみ)、綱長井神(つながいのかみ)、波比祇神(はひきのかみ)、阿須波神(あすはのかみ)ー5柱神の総称。 
2021.11
古墳期に「絹織物量産化」

年貢の絹綿、全国屈指=藤島荘と坂北荘

平安期に伊勢神宮を分祀創建、神明神社
ー北庄前身足羽御厨、伊勢神宮に絹献上

 延長2年(924年)伊勢神宮を分祀して創建された神明神社。

 神明神社御由緒略記によると、遠く越前国北庄(きたのしょう)3郷(現在の福井市中心部)は、足羽御厨(あすわのみくりや)と呼ばれ、伊勢神宮に御戸帳(みとばり=幌ともいい室内に垂れ下げて覆い隠す布)を献上する領地だった。

 神宮の御領地のことを記した「神鳳鈔」(じんぽうしょう)にも「足羽御厨 上分絹七疋 口入二十疋、百八十丁」と見え、後々までも当地で生産された絹が神宮へ上納されていたことが知られるーという。
2021.4.21

華やか「花桃」-大野市和泉、勝原の両地区
道の駅「越前おおの荒島の郷」4月22日オープン

日本百名山「荒島岳」の残雪を背景に、
大野市和泉区のホテルフレアール広場で
華やかに彩る「花桃」ー写真上

「荒島岳」麓のJR越美北線「勝原駅」(大野市)ー写真下
2021.5

北前船の日本海五大船主、右近家の邸宅
国重文・船主中村家邸宅も近く公開へ

北前船の日本海五大船主、右近家の邸宅。
北前船資料館として一般に公開されています。

右近家のある南越前町河野の船主集落は、
日本遺産「北前船寄港地•船主集落」の一つ。

同集落では現在、北陸有数の北前船主で
国の重要文化財、中村家の邸宅も一般公開に向けて
準備を進めています。